日々家 HIBIYA

数種類の定食と、季節のおいしいものを少しずつつめこんだ豆皿がならぶ「日々家御膳」のお店です。

ブログ

新しいチラシ

最低でも月4回のブログ更新を目標としておりますが、
もう10月も大詰めの今日、いまだ更新ゼロ回という体たらくです。

少し前まで、どんなにしょうもなくとも、
毎日のように何らかを書いていた、あの頃の自分がまぶしく見えるほど。
(いや、10月に入って1回書いてました。やったな!私!!)

これまでブログを見てくださっていた、数名の皆さまからも
たぶん、さじを投げられる寸前…
いやもう寸前どころか、肘も曲げられ、スナップきいた手首とともに、
さじも指から飛び出そうとしつつある状況であろうことは
うすうす感じ取っております。

こんな10月後半まで、いったい何してたのや。
どうせ、ハイボールやろう。

と思われたことでしょう。

それがね、こんな私でも実は、ひっそりとがんばっておりました。
ハイボールは飲みながらも、です。

まだまだ日々家にご来店いただいたことのない
日々家て何なんや!という皆さまに
少しでも興味を持っていただきたく、
知っていただきたくて、
できることなら、ご来店いただきたくて、
新しいチラシづくりに精を出しておりました。

たったいま、印刷の発注をいたしましたので
数日後には、チラシが届くはず。

届きました暁には、六甲アイランドにお住まいのみなさま全戸(目標)に
ポスティングをさせていただこうと、息巻いております。

もちろん「ポスティングしないで」と書かれているところには入れませんので
どうか、コソコソと背を丸めてポスティングしている者を見かけても
なんとか通報をこらえていただきますよう、お願い申し上げます。
決してあやしい者ではございません…
限りなく、あやしくは見えるかと思いますけども…

ありがとう、エノキ。

アントニオ猪木氏がお亡くなりになったというニュースを知ったときには、
祖母、文卿のことを思い出さずにおれませんでした。

以前のブログでも、何度か書かせていただいたのですが、
中国・山東省出身の祖母は、アントニオ猪木氏の大ファンだったんです。

週末のテレビでプロレスが放送されていたころは
毎週欠かさず猪木氏を応援しておりましたが
誰かがパイプ椅子を使った反則技を繰り広げて流血沙汰になると
「テレビ(チャンネル)変えて。」というセリフで、観戦終了。
gokiburiを素手で仕留められるほどのワイルドさを持ち合わせてたのに、
血を見るのは苦手だったみたいです。

私や弟(主に私)が何らかの悪さをして、両親からお尻バチバチにシバかれていたときには
すかさず親から庇ってくれた…ことは一度もなく、
「もっと叩け。本気出して叩け。」と指図する、スパルタ婆でした。
孫を庇わんかね?ふつうはよぉ。

おかげさまで、そんなおばあちゃんとはよくモメましたが、
ある日倒れて病院に運ばれ、意識を取り戻して目を覚ましたときには
ひとこと目に「ビール飲みたい」と言うてましたので
そういうところは見習わないといけないな、というエピソードの多いお方でした。

猪木氏の大ファンだったけれど、
最後まで「エノキ」と言いはってたね。
正しくは「イノキ」でしたからね。

アントニオ猪木さん、どこかで祖母にお会いになりましたら、
文字は読めませんのでサインはいりません。
握手ぐらい、もし、できましたらお願いします。大喜びのはずです。
日本語カタコトで、頑固者でしたので、「エノキさん」と呼びかけるかと思いますが
ビンタはこらえてやってくださいね。。